負ける人がいるから勝つ人がいる
さびおのさだちゃんです。104連敗したお相撲さんが引退されたらしいです。
凄まじい闘魂だと思います!僕だったら、入門テストにも通過しませんね。身長により。
正直、優勝したとか、何連覇したとかよりは個人的には引き付けられました。
🌀負けるとは?
私自身は、勝負の世界で生きる人間でないですが、負けるにも色々ありますが、一番いけないのは自分に負けるという事でしょうか?
だが、これ一番難しいのかも知れない。よく負け組という言葉もあるが、これ、ある基準において、そして、誰かの価値観において、負けているということであろう。
客観的に負け組だとしても、主観的に負けていなければいいのかも知れない。
それでも、外野はうっとうしい場合もあるが。
🌀勝ち続けることはない
いろんなことに勝ち、負けという言葉がある。「勝ち組」「負け組」という言葉を20年弱前から聞いたことがある。
ここでは、その内容は割愛するが、これは「負け組」を設けることにより、「勝ち組」を輝かせているような気がする。
そして、僕の感覚であるが、少なくとも、平成中期ぐらいに比較して、これをしたから、成功という絶対的な指標が薄らいでいるのにも関わらず、未だに「勝ち組」「負け組」という言葉がある。
相対的に幸福度を図るためなのでしょうかな。
🌀引き分けな結果
第三者からの評価。これは、ついて回るものだろうが、だが、この第三者の評価に絶対はないだろうし、時代や気分によって変化するものだろう。
気にするのは悪くないし、商売にならなかったりするだろう。だが、第三者ばかりを気にしていてばかりだったら、成果は出ないのかも知れない。
僕の実感で小さなことだが、例えば、YouTubeの登録者アップも狙ったから増加したわけでないし。
結果はやらないと不明だし、第三者に受けるものなんて、よくわからない。
🌀予想で負ける
悪い結果が続けば、悪循環になるだろう。また、話しは逸れるが、競艇や競馬など、公営ギャンブルで、人気のない選手や馬は、予想では負けている分、オッズは高いだろう。
だからといって、予想で負けていたからと言って勝てないわけでない。故に、期待されるより、期待されていない分、プレッシャーは掛からず、力を発揮出来るのかも知れない。
🌀栄光の価値変化
出世はコスパが悪いというように、昔の価値観が変化しているのだろう。
他にも色々あるだろうが、これまでの価値観がコスパがいいか、悪いかで片付けられる場合が少なくないような気がする。
ロマンや肩書きより、花より団子🍡なのだろう。そう考えれば、出世はしない方がいいのかも知れない。
🌀勝ちだからば
ゲームを一人でして、コンピューターの相手を最弱にすればいい。そうすれば満足するだろう。
勝つとは、そんなようなことかも知れない。