さびおの定ちゃん

個人事業さびお 代表であり、従業員のさだちゃんがブログを書きます。

画面は大きい方がいい

こんにちは。さびおの定ちゃんです。一部、pcより更新。画面は大きいほうがいいです。

 

さて、2月になりました。何とか、収入源の見通しは明るくなりました。

 

長寿社会となり、人生100年となる時代でしょうが。

 

🌀100歳まで生きるのは難関。🌀

 

2月5日。田舎の祖母が亡くなった。93歳だった。亡くなる直近10年以内は耳は遠くなったりと、軽い痴呆もあったりとあったようだ。

常日頃、健康に気をつけていた彼女だが、それでも亡くなってしまう。

考えてみれば、生物は不老不死でないわけだ。

 

🌀生活の中での1秒

 

1秒が積み重なり、1分、1時間、1日と続くのでしょうが、ふと、部屋にいて、1秒かけてゴミ捨てるなど。それが積み重なれば、部屋はそれなりにキレイになっていくのであろう。

 掃除の苦手は自分もそれだったら、出来る方法かも知れない。

 

🌀行動により

 

行動することによって、得失はあると思う。結果は別として、「やれば良かった」というのは一番後悔が残ることなのだろう。

例えば、愛の告白。振られても、相手とは気まずくなったりするが、満足は得られるはず。

 

行動は大切であろう。それが後悔の原因であるにしても。

 

🌀若い感覚とは

 

若い感覚が何かはわからないですが、その時代にあった感覚ということなのだろうか?それとも、先進的ということなのだろうか?

 

よく、青臭いという言葉があるがそれもそれでいいのかも知れない。

 

 

🌀確実に衰えながらも、進化する理想

 

高齢化社会、そして少子。人口減。ナーバスなようだが、我々、ヒトは他動植物を犠牲にすることで長生きをしている。

 そういった意味で、他生物のように人口増は不要なのかも知れない。

 故に人口減は決して、マイナスでないのかも知れない。機械が人間の代行をしてくれれば、ある程度、カバーはできるのであろう。

 

 コンビニやスーパーのレジがセルフレジやセミルフレジになったように。

 

🌀30年以上、生存出来ない

 

人間は野性生物だったら30年は生存不能らしい。因みに縄文時代の人が平均年齢30代というのは、やはり、この説は合っているのかも知れない。

30歳は過ぎた私だが、人生30年は現代においてはあまりにも短い。

不謹慎だが、30歳で死んだら、未練の残る人生だと思う。

 

🌀死のタイミングは選べない

 

起床し、消灯する。今日一日、生きているという保障があるような錯覚になるだろう。

 だが、死のタイミングはいつになるか不明であろう。そう思えば退屈な瞬間はなくなる。と言いたいところだが、嫌いなことをやっていればそうなるのかも知れない。

 

 

🌀朝の10分、夜の二、三時間に匹敵

 

 これは知り得た情報であるか、想像しやすいでしょう。休日か、平日かにもよるが、朝の切迫した時間は、帰宅後のまったりした時間よりも作業効率が上がるのだろう。

 人間、期限があるからなのだろうか。そちらの方が、力を発揮させやすいのだろうか?

 

人間、生きているうちに、やりたい事をやりきりたいですね。

 

時間は有限。意識したいですね。