さびおの定ちゃん

個人事業さびお 代表であり、従業員のさだちゃんがブログを書きます。

食を考える

衣食住でチマチマと金がかかるのは「食」であろう。

きちんとした物を食べるには金がかかる。

 

20歳の時、献血に行った時、医者から「コレステロールが少なすぎる、飯なんか餌だと思って食え!」と言われた。

 

医学的にはそうかも知れない。

 

料理の意味はなくなってしまうかもだが。

 

 

不況は続けざま

こんにちは。さびおのさだちゃんです。コロナ不況が今後も続くと感じてます。

 

1、他人事ではないという視点

 

2、世間的価値観の変化

 

3、不況を抜け出すには

 

さて、今回からは予め見出しを付けて投稿したいと思います。

 

1、他人事でないという視点

 

人間、当事者にならぬと分かりづらいことはある。今回のコロナ不況。予測もしていなかった。そして、2024年夏までコロナ不況は続くという経済学者の予想は個人的には当たっていると感じる。

 

僕は、2020年2月末で正社員の仕事を退職した。それ以来、正社員はおろか、固定アルバイトも就くのは難しかった。

それ故、メイン収入源として、短期アルバイトと日雇いで食いつなぐという感じである。

現在、短期アルバイトながら、失業保険のみは加入させてもらっている。労使折半で給与の1000分のいくつかでの負担で、保障があるのなら、お得であろう。こんな考えはしないだろうか?

 

 

2、世間的な価値観の変化

 

コロナの後遺症で、私自身も全雇用形態で就活に苦戦しておりますが、特に飲食業は厳しいのでは?と素人考えで思います。

 

「密」を避けるということ。

 

コロナ以前は、人が集まる環境も不思議ではなかった。飲み会、ライブ、通勤電車、職場。

 

しかし、コロナ後。人が密になる環境は避けられるようになった。

それにより、職場の飲み会なども中止とされ、安心した人もいるようだが、話はそれるが、基本的に、職場の飲み会は、結局は、仕事の延長だと思う。仮に同期といっても、話題には仕事絡みとなり、個人的には楽しいと思わない。

 

何か、有難いことやタメになることが聞けるという意見もあるが、それなら、本やセミナーに行けばいいのだろう。

 

酔った状態で何かを言われたり、聞いてもね。。。

 

飲みに行くのなら、友達や仲間とだろうな。

 

上座とかいう意味不明な風習もあるし、そこに着席しないと、具合が悪くなるのだろうか?

 

色んな意見であるが、職場のコミュニーションなんて、仕事が終了してまで必要なのだろうか?

 

 

3不況を抜け出すには

 

うーん。専門家でないのでわからない。しかし、安さが正義という感じなのであろうか?

 

コスパがいい。というフレーズが数年前から出て来たが、消費者としては、値段に対して、価値が高いものということなのだろうが。

 

価値が高い事はいい事なのだろうが。そして、安価なことも悪くない。

 

安かろう悪かろうなら、生産者も消費者も互いに納得いく。

 

 

中古なら、ともかく、新品の場合、当然、価格にはいろんなコストが乗るわけだし。中には、裏側を知っていれば、お金を出したくないという感じである。

 

安くするには、人件費の抑制から、賃金の安い海外で生産するというのは通例であるように感じる。

 

私は最近、日本製という物を見かける事が少なくなった気がする。

 

日本製がいいとは言い切れない。それは、客側からすれば、いいのだろうが、生産者側に回った時、変な完璧さを求められたりするからだ。

 

話は脱線するが、客側より労働者側にいる方が時間が長いのだから、今までの完璧みたいなものは日本文化から無くなればいいと思います。

 

 

さて、脱線しがちな記事で伝わりづらかったでしょうから、ここまでで。

 

 

 

労働収入

さびおのさだちゃんです。二月も後半ですが、寒さは続きます。

コロナ後の生活も一年近くですね。僕も去年2月末で正社員の仕事を退職時一年が経過しようとしています。

それから、正社員は愚か、固定のバイトでさえも上がりづらくなっており、これから、また、不況は続き、厳しい状況は続く感じでしょう。

 

🌀時間を切り売りする。

 

日本では仕事=通勤して就労する。というのが

一般的なようである。これは、正社員から日雇い、一部歩合制の仕事を除いて当てはまるでしょう。

そして、定時のみでは生活に余力が出ないという職場は少なくないと思う。

 

否定は出来ないが、なぜ残業しているのか?という同僚も過去にはいた。

そして、私が業務を終えて退勤しようとすると、「帰るの?」と何か、まだ残れよ!というような言い方をされたことはある。

 

もちろん、自分の担当内の仕事を終了していたので問題はなかっただろうし、同僚も私と同じ業務内容だったので、なぜ、そんなにも残業なのだろう?と内心に思ったが、生活残業だったのだろう。

 

🌀採用がゴールになる!

 

就活の定義は何なのであろう?いわゆる非正規雇用は、就活ということではないのだろうか?

それはさて、正直、採用されたからといって、基本的に手当てが出るわけでない。

 

一部、そういう会社もあるが。

 

それはさて、採用され、就労する。就労するための面接である。だが、私はそこを大きく誤解していた。採用がゴールみたいに錯覚する時もあった。

 

🌀正社員に惑わされない。

 

正社員は、一般的に

 

○月給制

 

○ボーナス有

 

○各種、社保有

 

○無期雇用

 

という感じであろう。

 

しかし、調べてみる法律上、明確な定義はない。

 

 自分が去年、2020年2月末、退職した正社員は、上記の中で、月給制でなく、日当制でした。

 

つまり、祝日が多い月は当然、基本給も下がるわけです。後は、いかに残業代でカバーするかでした。

 

それはさて、コロナ後により、ボーナスも支給されなかったり、減額したりという企業も多いかも知れません。

 

ボーナスは、本来、約束通り、貰えないのですよね。

 

まあ、合法的なことに異論は唱えられませんね。残念ですが。

 

🌀誰もが不安定、リスクはある。 

 

安定した人生とは何なのでしょうか。定年がなくなりつつあり、一生、隠居出来ないようになりつつある中で、ずっと労働しなくてはならないのだろう。

しかし、病気や怪我になれば就労出来なくなる。もちろん、そのための貯金や保険だし、私自身もわずかながら保険には加入している。

 

それはさて、どこでどうなるかわからない。労働収入は、仕事の案件がなかければ、稼ぐことが出来ない。

 

仕事は選ばなければあるというが、私は器用にこなせるタイプでないので、仮に入職しても解雇されたりというのもあるだろう。

 

そして、向き不向きはあるので苦手なことを我慢してまでやるのは精神衛生上、良くはないだろう。

 

🌀リタイア目指して

 

70歳までの定年延長となるようだ。昔は70歳は老人であると感じていたが、現代ではその年齢までに就労しなければ生きていけないレベルなのだろう?

日本が貧しくなったということなのだろう。

 

そんな中でも完全にリタイアするのは難しいであろう。しかし、徐々に週5ペースを週4ペースに落とすなどすれば可能かも知れない。

 

 

🌀よく精査する。

 

仕事を始めるに値して、料金が発生するということはあるだろう。それが、リターンの見返りがあるのならいいが、それがなかったり、リターンが少なければ仕事としては。。。という感じだ。

 

自分も、色んな?なビジネスに出くわしたことはあったが、うまくスルーした。

 

労働収入から解放されるのとは逆に、逃れられなくなるだろう。

 

 

もちろん、労働収入を諸悪の根源の言うつもりはないし、就労した分は、よほど、ブラックな職場でない限り、基本的には賃金にはなるだろう。そういった、確実性はあるが、時間、肉体、精神を拘束されるというデメリットがある。

 

コロナの時代、考えさせられるだろう。

 

 

 

 

コロナ後遺症の後始末

あけましておめでとうございます!当はてなブログも足掛け2年目となりました。

2021年、私、さびおのさだちゃんは、定食亭定吉、活動スタート10周年となります。

 

それはさて、去年の年が明ける数時間前、今年の予想を調べた。

 

タイトルのように「コロナ後遺症の後始末」とあった。

連日のように、コロナ発症者が出ている。今年は、帰省する人などは、大幅に減少したようだ。

という事で

今回はシェアハウス関連の記事を書きたいと

思います。一人暮らしに五ヶ月。

 

🏪正月にステーキ🥩

 

年末年始であれ、入居者がいる限り閉鎖する事はないです。当たり前ですが。ただし、管理会社は休業というケースは多いでしょうから、この時に何かあると困るでしょうが。それはさて。

2017年元旦。何故か、外国人の元シェアメイトらとステーキを食べに行った記憶がある。

 

なかなか、元旦からステーキ🥩は斬新な経験であった。

 

あの時、一緒に食べに行ったメンバーはその事を記憶しているだろうか?

 

🏠記憶に残る想い出

 

シェアハウスに通算四年間もいれば、色々な想い出がある。

記憶に残る想い出も様々だが、最初は、別に想い出作りとかそういった事でなく、経済的な理由で入居した私。最初は想い出作りなど、そういった事は意識なかった。

 

出来れば、数ヶ月で退去したかった。

 

しかし、通算4年もシェアハウスに在籍していた。各々、事情があるだろうが、なかなか踏み切れない状態であった。

 

💭コロナ後のシェアハウス

 

去年の7月まではシェアハウス在住だったが、当時のシェアメイトでは、感染者はいなかった。しかし、シェアメイトのなかで、コロナで収入源という人はいた。

 だが、シェアハウスだから経済的な負担は少ないという事であった。

 

経済的苦境にも心強いシェアハウス。一時的にでもいいから、暮らすのは悪くないかも知れない。

 

🌷年齢制限を設けるのは

 

話はそれるが、某アイドル事務所のユース的なポジションが22歳という年齢制限を設けましたが、シェアハウスにおいても年齢制限を設ける場所も少なくはありません。

 

一般物件と違い、「交流」が一つのテーマであるシェアハウス。

管理会社の意見として、あまり高齢になってくると、「若い人と交流しづらい」みたいな意見があった。

 

うーん?

 

39歳までの年齢制限のシェアハウスは多い。確かに年齢による思想、思考は変化するのだろうが、それが全てではないと思う。

 

同じ年齢によっても、思想、思考は様々であろうし。、

 

💭住居があってこそ

 

最近は、日雇いの仕事なども身分証提示を求められる場合があるだろうが、住居がなければ、日雇い含めて、仕事にありつけない。

 

話しはそれるが、コロナ後になり、日雇いさえも案件にありつけるのは厳しくなった。正社員であり、日雇いであれ、お金は貰えることには変化はない。勿論、内容や雇用期間などは異なるだろうが、生活の土台づくりである、金銭が得にくくなっているのであろう。

 

💭一生に一度、味わってもいいのだろう

 

シェアハウスに関して、否定的に捉えたり、正直、30歳超えて、そこにいるなんて?ということも言われたことがあるが、四年間シェアハウスを体験して、数ヶ月でいいから、シェアハウスを味わうのも悪くない気がする。

 勿論、生活や人生に正直、絶対必要ではないが、いろんな人がいて、何かを影響受けて、何かが変化するかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画面は大きい方がいい

こんにちは。さびおの定ちゃんです。一部、pcより更新。画面は大きいほうがいいです。

 

さて、2月になりました。何とか、収入源の見通しは明るくなりました。

 

長寿社会となり、人生100年となる時代でしょうが。

 

🌀100歳まで生きるのは難関。🌀

 

2月5日。田舎の祖母が亡くなった。93歳だった。亡くなる直近10年以内は耳は遠くなったりと、軽い痴呆もあったりとあったようだ。

常日頃、健康に気をつけていた彼女だが、それでも亡くなってしまう。

考えてみれば、生物は不老不死でないわけだ。

 

🌀生活の中での1秒

 

1秒が積み重なり、1分、1時間、1日と続くのでしょうが、ふと、部屋にいて、1秒かけてゴミ捨てるなど。それが積み重なれば、部屋はそれなりにキレイになっていくのであろう。

 掃除の苦手は自分もそれだったら、出来る方法かも知れない。

 

🌀行動により

 

行動することによって、得失はあると思う。結果は別として、「やれば良かった」というのは一番後悔が残ることなのだろう。

例えば、愛の告白。振られても、相手とは気まずくなったりするが、満足は得られるはず。

 

行動は大切であろう。それが後悔の原因であるにしても。

 

🌀若い感覚とは

 

若い感覚が何かはわからないですが、その時代にあった感覚ということなのだろうか?それとも、先進的ということなのだろうか?

 

よく、青臭いという言葉があるがそれもそれでいいのかも知れない。

 

 

🌀確実に衰えながらも、進化する理想

 

高齢化社会、そして少子。人口減。ナーバスなようだが、我々、ヒトは他動植物を犠牲にすることで長生きをしている。

 そういった意味で、他生物のように人口増は不要なのかも知れない。

 故に人口減は決して、マイナスでないのかも知れない。機械が人間の代行をしてくれれば、ある程度、カバーはできるのであろう。

 

 コンビニやスーパーのレジがセルフレジやセミルフレジになったように。

 

🌀30年以上、生存出来ない

 

人間は野性生物だったら30年は生存不能らしい。因みに縄文時代の人が平均年齢30代というのは、やはり、この説は合っているのかも知れない。

30歳は過ぎた私だが、人生30年は現代においてはあまりにも短い。

不謹慎だが、30歳で死んだら、未練の残る人生だと思う。

 

🌀死のタイミングは選べない

 

起床し、消灯する。今日一日、生きているという保障があるような錯覚になるだろう。

 だが、死のタイミングはいつになるか不明であろう。そう思えば退屈な瞬間はなくなる。と言いたいところだが、嫌いなことをやっていればそうなるのかも知れない。

 

 

🌀朝の10分、夜の二、三時間に匹敵

 

 これは知り得た情報であるか、想像しやすいでしょう。休日か、平日かにもよるが、朝の切迫した時間は、帰宅後のまったりした時間よりも作業効率が上がるのだろう。

 人間、期限があるからなのだろうか。そちらの方が、力を発揮させやすいのだろうか?

 

人間、生きているうちに、やりたい事をやりきりたいですね。

 

時間は有限。意識したいですね。