当該年齢最終日2021年
今回は個人的なことなので、更に得るものは普段より少ないように気がします。さて、免許更新に来ております。
神奈川県のどちらかというと公共交通が潤沢なエリアに暮らしているので車🚗不所持で十分だが。
まあ、無事更新も終了して右目の裸眼に自信はなかったが、何とかみることが出来た。免許証の写真、5年経過すればやはり、歳を取ったという感じである。。。
さて、36歳。何があっただろう。振り返ってみたい。
2020年5月11日に36歳となった。その当時は、横浜市磯子区内のシェアハウスに暮らし、一時的に再就活を停止するように、派遣で倉庫屋さんで就労していた。
コロナ後の煽りが2021年5月現在よりも厳しい状況であり、まさに正社員に限らず就労先があればという感じであった。
🌀シェアハウス卒業
2020年7月下旬から、通算4年間暮らしたシェアハウスから、一人暮らしに戻るべく、横須賀市追浜へと移転した。
追浜へ移転した理由として、某不動産屋さんへ行き、別の候補地と追浜が出て来て、別の候補地は、家賃も高く、最寄駅が各停しか停車しやい、そして、辞めた職場絡みの人物と遭遇する可能性があるので、消去法で追浜となった。
🌀一人暮らしに戻り
数年ぶりに名義も実在も一人暮らしに戻ったが、4年間もシェアハウスにいて、麻痺していたことが少なくなかった。
まず、家賃と公共料金が別口。そして、備品も自前、各種手続きも自分で。家電は買う必要がある。
そのようなことに気付かされた。
メリットしては、誰にも気を遣わずという感じであるが。
🌀固定の長期バイトすらも決定せず。
2020年2月末で、正社員の仕事を退職したが、その時は、固定のバイトぐらいはすぐに就けると甘い計算でいたが、大誤算だった。
コロナ後の不況だ。正社員はおろか、固定バイトも就くのが厳しい。
それには、コロナ不況で失業者が増加したならず、同一賃金改定法が施行されたことにもよるだろう。
雇用形態問わず、同じ仕事ならば賃金を平等にしなさい。という法律。
なので、この法律が施行前よりは、正社員の旨味も減少した影響なのだろう?と勝手に思っていたりする。
🌀京急を下り
2019年夏に、品川区鮫洲より横浜市磯子区、屏風浦へ京急沿線を下るように移転し、更にそこから、横須賀市追浜へと移転したが、当初は都内が遠くなり、嫌だったが、今となれば、コロナ後により、密も軽減され、良かったのかも知れない。
そして、先日、都内に行った時、空の圧迫感と空気の悪さを感じた。
🌀コロナは続く。
年明けて2021年となり、コロナ後の不況は続いている。短期バイトで何とかという感じではあるが、依然、油断ならぬ状況は続く。
年度も2021年年度となったが、依然、変化のない状況かも知れない。
🌀100歳の壁
今年2月に田舎の祖母が亡くなった。94歳ぐらいまで生きたが、人間は不死身でないし、健康に気を遣っていようが、100歳までは生きるのは厳しいようである。彼女の場合は、80歳を超え、足腰も弱まり、耳が遠くなり、軽い痴呆みたいになったようだが、人間、高齢には勝てないのだろうか?
🌀突然の出会い
何か恥ずかしいが、某コンビニ派遣で出会った女性と二週間ぐらい、お付き合いした。
その人とは何回か同じ現場となったが、ある日、「一緒に帰りませんか?」と誘われ、その後、食事に行ったり、相手のお宅に行ったりとあり、色々あったが、突然、別れを告げられた。
出会いは自分の計算外のところにあるのでしょうか?
🌀それでも、食い続け、貯金額もアップする
本日をもって36歳が終了するが、変な話し、負債もなくだから、収入面で伸び悩んでも、何とかなる感じなのだろう。
去年7月1日より、記録を付け、面接は雇用形態不問で110件ぐらい落選している。
しかし、某コンビニ派遣と、某シェアハウス清掃で食っている。
🌀総評して
全体的に見て、正直、手放しで喜べる一年でなかったかも知れないが、他人から見れば小さなことだが、私にとっては小さな幸せはあったのかも知れない。
まあ、何とか生き延びた一年だったのだろう。
派手さはなかったが、正直、一人暮らしに戻れて良かったのかも知れない。
さらば36歳。